江戸の粋 かっぽれ

江戸の粋  かっぽれ 

  多国籍観光客も混じり人波ごった返す仲見世通りをかき分け、浅草寺に参り、左手五重塔を廻り込んだ脇通りに演芸場<木馬亭>は幟を掲げていた。かつて浅草寺の裏手先には遊郭があり、お座敷芸が盛んだったとの時代背景を、江戸の粋を伝える<立川流かっぽれ家元 立川江佑>座長は芸題の前ふりに解説した。ものの書によれば、江戸明暦(1656)の大火で「元吉原」から浅草に移った「新吉原」の遊郭は昭和(1956)の売春防止法成立まで、ちょうど300年もの間続いたともいい、この地は永く庶民の伝統芸能を育む土地柄であった。

  墨田川堤の桜散り陽ざし心地いい4月半ば、<木馬亭>に藤沢支部の面々と、我ら仲間の中澤氏が座頭(ざがしら)を務める<立川流かっぽれ>の公演を観に行った。その日、舞台と観客の間合い程良い   喝采の掛け声飛ぶ演芸場は満席、立ち見客の出る盛況ぶりで、かっぽれ芸を中心に<江佑の“粋を遊ぶ”>と題した当日の番組は、他に特別出演伝統芸能を加えた賑やかなものだった。


かっぽれ/立川流

笑福踊り/笑幸

和妻/奈月


 <かっぽれ>は機知に富む遊びの助っ人   幇間(太鼓持ち)の芸の一つだそうだが、実際にみる踊り姿と所作は思いのほか凛と  いたって端正であった。すました表現ながら、斜に構えた趣きで、間(ま)小気味よく舞い、遊び心や  おかしみを誘う。勘所(かんどころ)の分からず終いの外題もあったものの、江戸の粋と謂われる伝承芸をじっくり楽しませてもらった。 折しもこの浅草行きの前夜、「新日本風土記・墨田川」なるTV番組中に「乙女の幇間」という映像トピックを見た。昨今男性幇間さえ数えるほど少なくなったという師匠に付き、人々に見てもらうことを実践すべく、日々伝統芸の数々を磨く初めての女性幇間の記録であった。

  何か一方向の価値観に流され過ぎる世の中にはゆとりがない。  当世の主流から離れるとも  どの伝統芸にあっても一筋に磨きをかける姿勢は、見る者にゆとり清々しく映り、もっと多様性という価値が見直されると思いたい次の時代に芽吹く種を引き継いでゆくに違いない。さて樂の後は例に違わず花より団子、もんじゃ焼きを喰らい語らい、日の暮れるまで梯子酒となったのはいうまでもない。                                  小林敬司(1969/工)