田園調布


コーディネーターの山本女史は毎回のWalkingに、その日のための資料を作って用意して下さいます。資料に沿った地域の風土地形、その地の歴史の解説によりウォーキングがより興味深く、また知る楽しみが刺激されます。頭と体のリフレッシュに新たな校友の参加をぜひお勧めし、またWalking会員のおさらいとして、今回のWalking資料の一部を掲載します。

田園調布~多摩川(大田区)2018.11.28

山本コーディネター作成資料(一部抜粋)

田園調布

大正7年(1918)、渋沢栄一はイギリスの「田園都市(ガーデンシティー)」にならって理想的な住宅地を造り出そうと、田園都市株式会社を設立。洗足と多摩川台(現・田園調布)一帯の宅地開発と鉄道敷設を手掛けた。栄一の息子・渋沢秀雄は、欧米各地の住宅地を視察、サンフランシスコ郊外のセント・フランシス・ウッド住宅地をモデルとして建築家の矢部金太郎に住宅設計を委ねた。「カーブのある道は、行く手が見通せないから人に好奇心をいだかせる」というコンセプトで、五本の環状道路と三本のイチョウ並木の放射道路からなる街路を完成させた。紳士協定として自宅の境界を塀でなく、生け垣にすることとなった。今では代が変わり、高い塀が立ち並ぶ景色になりつつある。分譲開始は大正12年(1923)8月、約3万2千坪が売り出された。一区画の分譲敷地は100~500坪。以降、昭和10年まで10回分譲され20万坪に及んだ。


多摩川台公園

多摩川に沿って伸びる丘陵地に約750mにわたり、66,661㎡の広さを持つ公園で、亀甲山(かめのこやま)古墳、宝莱山古墳、多摩川台古墳の上に位置している。自然林の道、古墳展示室、展望台、水生植物園、四季の草園、あじさい園、山野草の道、広場などがある。

多摩川台古墳群

1基の先方後円墳と7基の円墳からなる後期の古墳群。埴輪、鉄鏃(てつぞく)、須恵器、土師器、太刀、直刀、刀子、金環などが出土している。6世紀前半から7世紀中頃に築造され、2・1・3・5・4・6・7・8号の順に造られた。

亀甲山(かめのこやま)古墳

横から見ると亀の姿に似ていることから名付けられた。築造は4世紀後半。後円墳南端が削られているが、推定全長107.25mの大きな前方後円墳。

古墳展示室

観音塚古墳をモデルにした巨大な墓が実物大のレプリカで再現されている。東国(関東地方)で6世紀に造られた横穴式石室を持つ前方後円墳の一部で、出土した遺物のレプリカも展示されている。



当日のウォーキング  ルート

   平成30年11月28日(水)  晴れ

 

 

 

 

 

 

 駅舎→田園調布住宅・街並み→多摩川台公園

 →亀甲山古墳→古墳展示室→12:30 昼食

昼食:「田園調布倶楽部」イタリアン

 →多摩川浅間神社

 →区内最古のトンネル→六郷用水遊歩道→桜坂

 →東急多摩川線沼部駅