浪漫ウォーク<TOWN WALKING>


小石川散策

2024 (令和6)年2月14日 (水)  晴天

礫川公園→文京シビックセンター→講道館柔道資料館→昼食 /小石川後楽園内 「涵徳亭」 → 小石川後楽園散策

 


・礫川公園 : 東京都文京区1丁目にある区立公園。 公園は、東京メトロ丸の内線 「後楽園」駅の北側に位しており、東京都戦没者霊 苑と隣接している。 水を吹き出すブロンズの獅子や様々な花壇が特徴的。 文京区の中では比較的大きな公園。 かつて この一帯は軍用地だったが、戦後、 都営住宅・大学・ 戦没者慰霊堂公園用地に分割された。

・文教シビックセンター: 音楽イベントにも使われるホールや区民施設、 区役所などの公共機関からなる総合施設。 25階の展望ラウンジは約  105m の高さにあり、昼は富士山、秩父連峰、 筑波山、 東京スカイツリーを望む 330度の大パノラマを、 夜は東京の美し い夜景が楽しめる。

・講道館柔道資料館: 「資料展示室」 講道館の創立から現在まで、 当時の資料や写真が展示されている。「柔道殿堂」 柔道の普及に功績があり、亡くなった人物。 その中から選ばれた19名の肖像と略歴が掲示 「師範室」創始者・嘉納治五郎の資料や遺品が展示

「図書館・閲覧室」 柔道の技・試合の映像データの視聴や、過去の大会プログラムなど柔道関連の資料を閲覧できる

・涵徳亭:玻璃(ハリガラス)障子紙を明り取りに用いていたため「ガラスノ茶屋」 「びいどろ茶屋」と呼ばれていた茅葺の茶屋を、享 保年間に林信篤が涵徳亭と名づけた。 小石川後楽園の歴史的な建物である涵徳亭の中で、庭の景色と和食が楽しめ る。

 ・小石川後楽園: 小石川後楽園は、江戸時代初期の寛永6年(1629年)に水戸徳川家初代藩主・徳川頼房(よりふさ)が江戸の中 楽園 屋敷(明暦の大火後に上屋敷となる)に築造し、 2代藩主・光圀の修治により完成した江戸の大名庭園として現存する最 古の庭園。小石川台地の南端に位置する起伏に富んだ地形と自然林を活かし、日本各地の景勝を模した創設者頼房 の庭造りを受け継ぎ、 添景として光圀の代に儒教的思想を反映させた中国趣味が取り入れられ、日本と中国の名所や 古典になぞらえた見所を配する。 「後楽園」の名称は、 宋の笵仲淹(はんちゅうえん)の 『岳陽楼記 (がくようろうき)』 中の 「先天下之憂而憂 後天下之楽而楽」「(士はまさに) 天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から名 づけられた。光圀も自らの政治的信条とした。