浪漫ウォーク<TOWN WALKING>


大磯(明治記念大磯庭園を中心に)散策のお知らせ

2025/10/02 雨天決行 

〇日 時:2025(令和7)年10月2日(木) 集合9:00

〇集合場所:JR東海道線 大磯駅改札口

〇主な見学場所

旧島崎藤村邸→明治記念大磯庭園(公開部分)→鴫立庵(外観)→井上蒲鉾店→旧東海道→新島密終焉の地→めしや大磯港(昼食)→地福寺(島崎藤村菩提寺)→旧木下家別館(大磯迎賓館)(外観)

※昼食:地魚料理

〇解散 大磯駅(14:30頃) ※二次会の予定なし

〇協力金(会の経費に充当)1,000円 (校友会員のみ(5月30日駿河台キャンパス散策で支払済の方は除外)同伴者・会友無料) ※交通費・昼食代各自負担 ※昼食は、コース3,000円~+飲物代で予約可

*ご参考までに 藤沢8:41―辻堂8:44―茅ヶ崎8:48―平塚8;53―大磯8:56

*お願い:参加の有無を、9月25日(木)までに、下記までお知らせください。

 

・勝浦 修造 0466-33-3117 090-7251-6139

mail:syumito-7-yutaka@docomo.ne.jp


・旧島崎藤村邸:島崎藤村(1872~1943)が晩年の約2年を過ごした旧宅。町屋園と呼ばれた藤村の旧宅は、三間の平屋建てで 外壁には杉の皮、引き戸には大正ガラスが使われている。小さい素朴な冠木門に割竹垣に囲まれた小庭の眺めは藤村の心の 慰めで、この家を「靜の草屋」と呼んでいた。(入室不可―庭から建物外観・室内を見学) ・明治記念大磯庭園:「明治記念大磯邸園」には、立憲政治の確立等に重要な役割を果たした伊藤博文、大隈重信、西園寺公望、陸奥宗光にゆかりのある邸宅や庭園などの歴史的建造物が残されている。これら残された邸宅等は、湘南の邸園文化の象徴として、周囲の景観を生かした庭園、自然環境が一体となって、積層する歴史を今日に伝える佇まい(風致)を遺している。

・ 旧大熊重信邸:大熊重信が、明治30年(1897)に購入したのち改修し、避寒、避暑地として利用。建物は、改築されてはいるものの、大隈が書斎として使用していた「神代の間」(神代杉を使用)や、社交家の大隈がよく宴を開いていたと言われる「富士の間」など主要な居宅部分は往時の姿を留め、大磯が明治期に別荘地として最も発展した時代の別荘建築として貴重な歴史的遺産である。古河邸時代の庭園が現存していると考えられ、邸宅からなだらかに下り、海岸につながっており、海沿いの松林や相模湾等を借景とした庭園構成である。芝庭やツツジが群植された和洋折衷式の庭園となっている。 (大熊重信:伊藤博文内閣時代に外務大臣等を歴任した後、第8、17代内閣総理大臣。憲政党を結成、日本初の政党内閣を組織した。東京専門学校(現早稲田大学)を創立)

・旧陸奥宗光邸: 明治28年(1895)に建てられた当初の建物が大正12年(1923)の関東大震災により大破したため、現存の建物は、昭和5年(1930)に改築されたものである。数寄屋風建物で、保存状態がよく、瀟洒で静閑な佇まいで建築された往時の姿をよく留めている。玄関には「聴漁荘」と揮毫された扁額が揚げられている。庭園は、斜面地形を生かした滝石組のある日本庭園で、井戸からの流れに沿ってツツジなどが植栽された回遊式庭園となっており、バラ園や果樹園も配置されている。 (陸奥宗光:伊藤博文内閣時代に外務大臣等を歴任。不平等条約である治外法権の撤廃に尽力し、日本の国際社会における地位回復に貢献) ※伊藤博文(初代及び第5、7、10代内閣総理大臣、立憲政友会初代総裁)並びに西園寺公望(伊藤博文内閣時代に外務大臣等を歴任した後、第12、14代内閣総理大臣。立憲政友会第2代総裁、私塾立命館(現立命館大学)を創設)の邸宅・庭園は整備中(国交省・神奈川県・大磯町共同整備―令和10年度まで工期延長中)。公開時期未定

・鴫立庵: 俳諧道場。京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び、日本三大俳諧道場の一つ。敷地内の石碑の銘文「著盡湘南清絶地」から、「湘南発祥の地」とされ、名称は西行の歌「こころなき 身にもあはれは 知られけり 鴫立沢の 秋の夕暮」による。 ・前島密終焉の地:静養中の1890年(明治23年)1月23日に、46歳11ヶ月の生涯を閉じた百足(むかで)屋旅館の玄関跡 ・地福寺:真言宗東寺派。文豪島崎藤村夫妻の墓碑が、樹齢100年~200年の梅の古木約20本に囲まれて建てられている。

・旧木下家別館(大磯迎賓館):貿易商・木下建平氏の別邸として大正元年(1912年)に竣工した同洋館。敷地が三角形であることから、三角屋敷という名でも知られた建物は、アメリカで生まれたツーバイフォー工法(壁で建物を支える工法)による国内の住宅の中で、国産木材を使用した最も古い建物という。